QUILTと花と旅の思いで_K.Sachiko
旅の思い出・京都-その1 神社仏閣F-中央地区2
・私たちが訪問したルートで説明していきます。
市販のガイドブック(街歩き地図 : 京都さんぽ-2022)を参考に巡ってみました。
有名な神社仏閣と行程の途中にある小さな神社等も写真で紹介しています。
(注) : 【参考情報】は、京都市公式・京都観光Naviの情報から引用させて頂いてます。
・洛中と言われる地区ですので、観光名所+観光客が多いです。
・京都御所の西側も素敵な寺社が多いので、事前に訪問ルートを調べると良いです。
F ルート : バス又は烏丸線で
・六角堂 (頂法寺):
・京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町にある天台宗系単立の寺院。
・山号は紫雲山。
・本尊は如意輪観音。
・寺号は頂法寺であるが、本堂が平面六角形であることから一般には六角堂の通称で知られている。
・華道、池坊の発祥の地としても知られている。
・西国三十三所第18番札所。
・洛陽三十三所観音霊場第1番札所。
・ホテルモントレーのすぐ横にあり、華道関係者の方々をこの付近でお見掛けします。
・ここの御朱印が好きです。
★ 烏丸-四条付近 ★
G ルート : 徒歩で
★ 西本願寺 ★
・京都駅周辺にあり、東本願寺と共に徒歩でも行けます。
・700年以上の歴史があります。
・檀家さんの集まりが多くあるようでした。
・敷地は広く見どころは沢山ありますので、「参考情報」をご覧ください。
・本願寺(西本願寺)(ほんがんじ(にしほんがんじ))
・住所 : 京都市下京区堀川通花屋町下ル
・電話 : 075-371-5181
・営業時間 : 開門時間 5:30〜17:00
・その他アクセス : JR「京都」駅から徒歩約15分(タクシー5分)
市バス9・28・75「西本願寺前」下車
京阪バス「西本願寺」下車
【参考情報】
浄土真宗本願寺派の本山。
1272年(文永9)宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した廟堂に始まる。
第3代覚如上人のときに本願寺と公称。
第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展。
その後、寺地は大阪、和歌山などを転々とした後、1591年(天正19)豊臣秀吉が寺地を寄進、現在地に移った。
1602年(慶長7)本願寺は東西に分立。御影堂と阿弥陀堂はともに国宝。
書院の庭園(特別名勝)は桃山文化を代表する枯山水様式。
その他、わが国最古の能舞台である北能舞台、唐門など桃山文化を今に伝える国宝建造物を多数有している。
美術工芸品では三十六人家集(国宝)などを所蔵。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録された。
■御影堂、■阿弥陀堂■唐門、■大銀(西本願寺境内にあるイチョウ(雄木)-市指定天然記念物)
■飛雲閣(※通常非公開)、■北能舞台(※通常非公開)、■虎渓之庭(※通常非公開)
★ 東本願寺 ★
・京都駅周辺にあり、西本願寺と共に徒歩でも行けます。
・400年以上の歴史があります。
・烏丸通りから見える場所にあり、フリーマーケットもあるみたいです。
・敷地は広く見どころは沢山ありますので、「参考情報」をご覧ください。
・御朱印授与はありませんので、スタンプで代用しました。
・近くに「餃子の王将」あり、ランチをここでとりました。
・真宗本廟(東本願寺)(しんしゅうほんびょう(ひがしほんがんじ))
・住所 : 京都市下京区烏丸通七条上ル
・電話 : 075-371-9181
・営業時間 : 5:50〜17:30
※11〜2月は6:20〜16:30
・その他アクセス : JR「京都」駅から徒歩約7分
地下鉄「五条」駅下車、徒歩約5分
市バス「烏丸七条」下車、徒歩約2分
【参考情報】
真宗大谷派の本山で「お東さん」の名称で親しまれている。
1602(慶長7)年に第12代教如上人が徳川家康からこの地の寄進を受け、建立した。
木造建築の山門としては世界最大級であり、木造建築の二重門として、
日本一の高さと言われている御影堂門をくぐると並んでそびえ立つのが御影堂と阿弥陀堂である。
広さ927畳の御影堂は世界最大級の木造建築で宗祖親鸞聖人の木像を安置しており、
阿弥陀堂は本尊の阿弥陀如来を安置している。
なお、現在の両堂は1895(明治28)年に再建されたものであり、その際に巨大な用材を
引き上げるため、全国の門徒から寄進された毛髪と麻を撚り合わせて作った毛綱も残されている。
2015年末、13年かけて行われた両堂と御影堂門の修復事業が完了した。
真宗本廟の飛地境内地として石川丈山の作庭による渉成園(枳殻邸=きこくてい)があり、
1936(昭和11)年に国の名勝に指定された。
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H ルート : バスまたは電車で
★ 二条城・夜桜見物 ★
・徳川家康築城で400年ほどの歴史があります。
・夜桜見物のために訪れました。
・東寺の夕方の桜が見れず、ここにきました。
・ライトアップがとても綺麗でした。
・元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)
・住所 : 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
・電話 : 075-841-0096
・営業時間 : 8:45〜16:00(閉城17:00)
《二の丸御殿》8:45〜16:10
《本丸御殿》9:30〜16:00
《二条城障壁画 展示収蔵館》9:00〜16:30(閉館16:45)
※年4回、計240日公開
・定休日 : 12/29〜31
※二の丸御殿観覧休止日は1・7・8・12月の火曜(祝日の場合は開殿、翌平日休)、12/26〜12/28、1/1〜1/3。
※本丸御殿観覧休止日は、毎月第3月曜日※及びその翌日※、12/26〜12/28、1/1〜1/3。
※当該日が休日の場合は、本丸御殿を観覧いただけます。
・その他アクセス :地下鉄「二条城前」駅下車すぐ
【参考情報】
慶長8(1603)年、徳川家康によって築城され、数々の歴史の舞台になってきた二条城。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸に伴い大改修を行い、寛永3(1626)年に現在の規模になった。
重厚なたたずまいの「東大手門」(重要文化財)、二の丸御殿の正門にあたる唐門(重要文化財)
は、「松竹梅に鶴」「唐獅子」といった極彩色の彫刻が見事である。
二の丸庭園(特別名勝)や本丸御殿(重要文化財)など、見どころ多数。
大政奉還の表明の場となった二の丸御殿(国宝)では、鴬(うぐいす)張りの廊下や、
狩野派絵師の手による障壁画にも注目を。
★ 二条城・夜桜見物 ★
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I ルート : バスまたは烏丸線→菅原院天満宮→益富地学会館→護王神社→バスまたは烏丸線
★御所・烏丸通り★
(注) 御所には"とんび"がいますので、紙袋ものや、飲食物に気を付けてください。
一度被害に会いました。
★菅原院天満宮★
・烏丸丸太町で降りてすぐの場所にあります。
・菅原道真公生誕の地です。
・ご祖父の代からの場所だそうです。
・天神様発祥の地になりますね。
・本拠地ということで、お守り頂きました。
・1200年の歴史があります。
・御朱印もすぐに用意してくださいました。
※菅原 道真(すがわら の みちざね、承和12年6月25日〈845年8月1日〉-
延喜3年2月25日〈903年3月26日〉)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。
贈正一位・太政大臣。
・菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)
・住所 : 京都市上京区烏丸通下立売下る堀松町408
・電話 : 075-211-4769
・営業時間 : 6:00〜17:00
・その他アクセス : 地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車、徒歩5分
【参考情報】
菅原氏の邸宅「菅原院」があったところで、菅原道真、その父祖が祀られる。
菅原道真の父是善ら祖父清公以来三代が居住し、道真生誕の地と伝えられる。
道真没後、その菩提を弔うために菅原院の地に歓喜光寺が建立され、境内には道真と父祖の
小祠が祀られた。
歓喜光寺はその後六条河原院へ移るが、その小祠は残されて現在に至っている。
境内には菅公産湯の井戸等ゆかりの遺物がある。
太宰府天満宮への遺蹟伝承地を結ぶ菅公聖蹟二十五拝の第1番になっている。
例祭、7月25日。
祭神 菅原道真公 菅原是善卿 菅原清公卿
末社 梅丸社(癌封じの神として霊験あり)
■菅公初湯井
菅原道真産湯の井と伝える石台形花崗岩製の井戸。
ごく最近(平成22年)産湯の井を掘削し清らかな水が出て、参拝客に喜ばれていると聞きます。
また、御遺愛の灯籠もある。探検家松浦武四郎(北海道の名付け親)が晩年に天満宮を崇敬し
銅鏡や石碑を当社に奉納した物が現在も残っているそうです。
★菅原院天満宮★
★ 益富地学会館 ・・・おまけの訪問 ★
・菅原院のすぐそばにあったので、寄り道しました。
・地学分野の中でも特に鉱物・岩石・化石について楽しく学べる石の博物館です。
・益富地学会館は、石の博物館です。標本展示室では、世界中の鉱物・化石・岩石などの
標本約1万5千点を展示、週末と祝日に公開しています。
・地学に興味と関心を持つ人々の集いの場となることを願い、益富壽之助の私財を基に設立(1973年)
・市井の研究者の自らの研究発表の場として『地学研究』という冊子を、1932年から現在に至るまで
出版し続けています。
・益富雲母(ますとみうんも、Masutomilite)は、カリウム、リチウム、アルミニウム、マンガン
などを主成分とする雲母グループの希少な鉱物(珪酸塩鉱物)です。
日本における鉱物学・薬学の発展に貢献した益富壽之助博士の業績を称えて命名されました。
・週末に来ないと入場できないそうです。(TO DOです)
★ 益富地学会館 ★
★護王神社★
京都御所の西に鎮座する"狛いのしし"が出迎える足腰の神さま
・菅原院天満宮から北に少し行ったところにあります。
・1200年の歴史があるようですが、現在の地では140年ほどです。
・和気清麻呂公ゆかりの地です。
・「いのしし」がとても気になる存在ですね。
・ジブリ「もののけ姫」に登場する巨大な白い猪神、「乙事主(おっことぬし)」を思い出しました。
・・・声は"森繁久彌"さんでしたかね。・・・
・足腰の病気・怪我回復の御利益があるとされています。
・健康番組では階段の上り下りで筋肉鍛えろ・・・と出てきます。
・過去の巡洋艦「高雄」のお守り社でもあるそうです。
・もし、護衛艦に「高雄」の名前が命名されると、艦内にお社が分祀されるそうです。
・護王神社(ごおうじんじゃ)
・住所 : 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
・電話 : 075-441-5458
・営業時間 : 6:00〜21:00(社務所受付9:30〜16:30)
・その他アクセス : 地下鉄「丸太町」駅下車、徒歩約7分
市バス「烏丸下長者町」下車すぐ
【参考情報】
桓武天皇に平安京遷都を進言し、その造営に貢献した和気清麻呂と、その姉で戦乱で身寄りを亡くした
多くの孤児達を養育した和気広虫を祀る。
境内には清麻呂の難を救った猪にちなみ、狛いのししや、猪のコレクションがあり、
「いのしし神社」としても親しまれている。
社殿は神護寺境内にあったが1886年(明治19)現在地に遷座した。
4月4日は旧暦で清麻呂の命日にあたり、例大祭「護王大祭」が行なわれる。
また、11月1日の「亥子祭」は、宮中の古儀を再現した優雅な祭りとして知られる。
猪に助けられた清麻呂の足萎えが回復したという故事から、足腰の病気・怪我回復の
御利益があるとされている。
■猪
同社祭神の和気清麻呂公が宇佐八幡までの道のりを300頭のイノシシに護られた、という故事にちなみ、
境内には狛犬ではなく「狛猪」が建てられている。
本殿前の招魂木(おがたまのき)の根本には、願かけ猪の石像がある。
■かりん
護王神社境内、正門内側北寄りにあるナシ科のカリン。
樹高14m、幹の太さは1.5mあり、その実の効能から「ぜんそく封じの御神木」とされている。
護王神社までの道のりにて
・道路沿いに張られている風景です。
・一枚がとても大きいです。
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| 和気清麻呂と護王神社 |
和気清麻呂と護王神社 |
和気清麻呂と護王神社 |
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| 和気清麻呂と護王神社 |
和気清麻呂と護王神社 |
和気清麻呂と護王神社 |
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J ルート : バス→晴明神社→白峰神宮→首途八幡宮→法華宗総本山 本隆寺
→ 雨堂院 → 妙蓮寺→水火天満宮→バス
★堀川通り.★
★清明神社★
・陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社です。
・建立は1007年で、1000年の歴史があります。
・平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されたそうです。
・安倍晴明公は平安時代中期の天文学者だったのですね。
・厄除けの桃は有名ですよね。
・境内は綺麗で、12月でも紅葉の見れる場所でした。
・晴明神社(せいめいじんじゃ)
・住所 : 京都市上京区堀川通一条上ル晴明町806
・電話 : 075-441-6460
・その他アクセス : 市バス「一条戻橋・晴明神社前」下車すぐ
市バス「堀川今出川」下車、徒歩約2分
【参考情報】
〜陰陽師 安倍晴明公をお祀りする晴明神社〜
晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。
創建は、寛弘4(1007)年。
晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である
現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、
南は中立売通という広大なものであったとされています。
ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。
古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、
多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ
崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を
集めるようになりました。
★堀川通り.★ ★清明神社★
★ 白峯神宮 ★
・ 創建は1868(明治元)年です。
・ 「まりの神様」で有名のようです。
・ ここには「まり」の守護神として「精大明神」が祀られています。
「精大明神」は蹴鞠・和歌の宗家である公卿・飛鳥井家が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、
白峯神宮がその祭祀を受け継いでいるとのことです。
・ 「まりの神様」として崇敬され、日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて、使用された
公式球が奉納されていました。
・ 御神徳を仰ぎ、野球・サッカーを始めとする球技や新体操などの関係参拝者が多く訪れるようです。
・ けまりは、ボールを落とさない事・落ちない事から、勉学の神 白峯天神様のご利益が学力を
落とさない・試験に落ちないなどと縁起が良いとされています。
・ 全国唯一の「闘魂守」があり、有名のようです。
・ 道路を挟んだ向かい側(ダイソー側)から神宮全体写真を撮られた方が良いです。
・白峯神宮(しらみねじんぐう)
・住所 : 上京区今出川通堀川東入飛鳥井町261
・電話 : 075-441-3810
・営業時間 : 8:00〜17:00
・その他アクセス : 市バス 堀川今出川下車すぐ
【参考情報】 白峯神宮HPより
幕末、風雲急を告げる中、第121代孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代
崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとされ、幕府に御下命になり四国・坂出の「白峰山陵」
これを祀らうとされましたが叶わぬままに崩御されました。
明治天皇は父帝の御遺志を継承・心願成就され、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡
に求められ、慶応4年(明治元年)9月6日、社殿を現在地に新造。奉迎鎮座されました。
続いて明治6年に第47代淳仁天皇の御神霊を淡路島南端の御陵からお移して、御併祀になりました。
当初は神祇官員が日々ご奉仕しましたが、明治の新制度により官幣中社としての待遇をうけ、昭和十五年には
官幣大社に御昇格・「 白峯神宮 」となりました。
春秋の修学旅行シーズンには、新人戦や大会に向け御祭神の御神徳を頂こうと学生達の参拝が多く、
境内地主社の「精大明神」は蹴鞠、星の神様として有名です。
創建:1868(明治元)年
■小賀玉の木
白峯神宮境内にあるモクレン科のオガタマノキ。
境内の東南部にある。
境内はもと飛鳥井家の邸跡で、オガタマノキはその邸跡に古くから存在したもので、
社寺の多い京都市内においては最大級である。
浅春に仄かな芳香を放ち開花する。
市指定天然記念物。
★ 白峯神宮 ★
★首途八幡宮 付近 ★
★首途(かどで)八幡宮★
・無人の社です。
・場所は"上京区智恵光院今出川上る"です。
・かつてこの地に金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったと伝えられ、
源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の安全を祈願して出立したといわています。
「首途(かどで)」とは、「出発」の意味で、以来この由緒により「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」と
呼ばれるようになったそうです。
・この故事により、特に旅立ち、旅行安全の信仰を集めてるそうです。
・御朱印も無人ですが、用意されていました。
・海外からの方もお見掛けしたので旅行ガイドに載っているのですかね?
・隣の公園が素敵でした。
【参考情報】
大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」という。
宇佐八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・比淘蜷_
(ひめおおかみ)・息長帯姫命(おきながたらしひめ)(神宮皇后)を祀る。
★首途(かどで)八幡宮★
★ 法華宗総本山 本隆寺 → 雨堂院 → 妙蓮寺 ★
を
★ 水火天満宮 ★
・歴史は古く、1000年以上あるそうです。
・ここでも菅原道真公ゆかりの登天石が境内にありました。
・バス停のすぐ前に位置しています。
・水難火難除けの神として知られているそうですか、古の京都には必須の神様ですよね。
水火天満宮・(すいかてんまんぐう)
・住所 : 京都市上京区堀川通上御霊前上る扇町722-10
・電話 : 075-451-5057
・営業時間 :
・その他アクセス : 市バス「天神公園前」下車
【参考情報】
923年(延長1)醍醐天皇の勅願により菅原道真の神霊を祀ったと伝える。
水難火難除けの神として知られ、もと上京区上天神町にあったが堀川通の拡張により昭和25年
現在地に移転した。
■登天石
「菅公登天石」とも呼ばれる。洛中をしばしば雷火が見舞い、祈祷の命を受けた法性坊尊意が
宮中へ向かおうと鴨川に差し掛かると、川が急に氾濫した。神劔を捧げ祈ると、水はたちまち二分し、
中央の岩上に菅公が現れ、やがて昇天するやたちまち雷雨がおさまった。
このとき菅公が現れた岩を「登天石」と名付け、現存する石はその一部だと伝える。
■出世石
水火天満宮境内、登天石横にある神石。
大願成就、世に出る石として、信仰がある。
★ 水火天満宮 ★
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